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副業で“なんでも屋”をする人が増えている

 昨年12月27日、個人事務所が名古屋国税局の税務調査を受け、2005年からの7年間で約7500万円の申告漏れを指摘されていたことがわかった板東英二(72才)。イベント会社にテレビ番組の企画制作や商品開発を外注したように装ったり、倒産した自動車販売会社に貸した金が回収できなくなったように見せかけるなどの悪質な手口で所得隠しを行っていた。

 金への執着は今に始まったことではない。それはプロ野球選手になったころまでさかのぼる。プロ野球関係者が語る。

「入団直後、まだ19才だった板東は、契約金の一部を使って、芦屋(兵庫県)の老夫婦が経営していた牛乳販売店を270万円で買収したんです。当時、彼は“化けモンみたいな選手がゴロゴロいるこの世界で、自分が一生野球を続けていけるわけがない。本業以外でしっかりした収入を確保できる別の仕事を見つけなければ、すぐに金に困る生活になる”と口癖のように言っていたそうです」(プロ野球関係者)

 その後も1年目のオフシーズンからジュークボックスの販売を始めるなど、副業に精を出した。

「26才の時に大阪にレジャービルを購入して、ビル内でサウナやナイトクラブ、麻雀店、割烹店などの経営を次々と始めました。しかしこれらはことごとく失敗。チームの後輩たちに借金することもザラでした。それでも彼は“なんか儲かる話ないか?”と常に金になる話を探していましたよ」(前出・プロ野球関係者)

 1969年、板東は右肘の故障のため、29才の若さで現役を引退。その後は野球解説者のほか、タレントとしてテレビの司会やラジオのパーソナリティーなどで活躍してきた。しかしいくらお茶の間の人気者になろうとも、相変わらず彼は儲け話を求め続けた。

「突然、食材の通販事業を始めたりと、とにかく手当たり次第になんでもやっていました。サイドビジネスが忙しすぎて、肝心の野球解説中に居眠りする始末です。1974年に中日が優勝した時は、『燃えよドラゴンズ!』を自分で歌ってレコードにし、40万枚も販売したこともありました。これはかなり儲かったでしょうが、他には軌道にのった事業はほとんどありませんでしたね」(別のプロ野球関係者)

 これまでは失敗しても軽いヤケドで済んでいた彼の副業だが、大きな落とし穴が待っていた。

「板東さんが最も力を入れていたのは株投資で、値上がりすると思えば、どんな株でも次々と買っていました。でも1990年代に入るとバブルが崩壊して、株価は暴落。板東さんが持っていた株は紙切れ同然になり、借金は一時17億円にまで膨らんだと報じられました。

 その後は俳優業や執筆活動などで着実に稼いで、10年がかりで返済したようです。このときばかりは奥さんや子供さんにもつらい思いをさせてきたことを反省し、“堅実がいちばん”ということを学んだと思っていたのですが…」(前出・プロ野球関係者)

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